成蹊探訪 23
「理化館」と「大学1号館」
正門を入った西側に、本館と同様のレンガ貼りの外観を見せている大学1号館は、本館の竣工(大正13年)に続き、昭和2年4月に「理化館」として竣工した。
この建物の建設に当たっては、旧制高等学校に赴任して間もない加藤藤吉教諭が、日本全国の主な理化施設を視察し、設計案、設備・備品の調達などを一手に担われた。加藤教諭は、「理化館」の完成とともに、初等理化教育の構成と実践に力を注がれ、この建物を「理科館」とせずに「理化館」としたのも、「尋常科対象の物理・化学・気象を含め、自然現象をありのまま正しく観察する、実験を中心とした理化教育」という、理化教育に対する先生の考えの現れであった。
この建物の建設に当たっては、旧制高等学校に赴任して間もない加藤藤吉教諭が、日本全国の主な理化施設を視察し、設計案、設備・備品の調達などを一手に担われた。加藤教諭は、「理化館」の完成とともに、初等理化教育の構成と実践に力を注がれ、この建物を「理科館」とせずに「理化館」としたのも、「尋常科対象の物理・化学・気象を含め、自然現象をありのまま正しく観察する、実験を中心とした理化教育」という、理化教育に対する先生の考えの現れであった。
現在の大学1号館の外観は、「理化館」当時と変わりないが、内部はかつての面影を見ることはできない。旧制高等学校時代は、1階は物理、2階は生物と地質・鉱物、3階は化学の教室や実験室となっていた。その後、昭和24年に大学が開設され、当時教養課程に置かれていたプレメデイカルコース(医歯学進学課程)の学生が主としてこの建物を使用することとなり、この頃から「理科館」に、そして昭和40年4月の文学部開設を機に、「大学1号館」と名称が改められ、現在は主に講義棟として使用されている。
竣工当時の理化館