成蹊探訪 35
今村繁三像
本館前庭を囲むように学園創立者中村春二先生、賛助員の今村繁三、岩崎小彌太両氏の記念像があります。3氏は東京高等師範学校附属中学の同窓生で、卒業後、今村繁三氏は英国リース校へ留学、卒業後ケンブリッジ大学に進学しました。
帰国した明治35 (1902) 年、今村銀行を興した父清之介が逝去、今村氏は26歳で頭取に就任しました。その後、満30歳を記念して育英事業を計画、相談に訪れた親友の中村先生から私塾開設の希望を聞くとその事業を委ね、これが成蹊園開設に結実しました。
帰国した明治35 (1902) 年、今村銀行を興した父清之介が逝去、今村氏は26歳で頭取に就任しました。その後、満30歳を記念して育英事業を計画、相談に訪れた親友の中村先生から私塾開設の希望を聞くとその事業を委ね、これが成蹊園開設に結実しました。
一方で今村氏は、中村彝氏をはじめとする画家や音楽家宮城道雄氏などに無償で援助を行うなど、数多くの芸術家の育成にも尽力しました。中村先生、岩崎氏の逝去後もキャンパスを訪れては成蹊学園の行く末を見守り続け、その姿は「今村のおじいちゃん」として学園で学ぶ子どもたちにも慕われました。
今村氏は昭和31 (1956) 年4月19日享年80歳で逝去されましたが、成蹊学園創立50周年を機に卒業生団体の「成蹊会」が資金を提供、東京芸術大学の菅原安男教授による ブロンズ像が製作されました。昭和38 (1963) 年4月8日、今村氏の遺徳を偲ぶ多数の卒業生が大学1号館前に参集し、除幕式が行われました。
【文:成蹊会 高橋章建】
今村氏は昭和31 (1956) 年4月19日享年80歳で逝去されましたが、成蹊学園創立50周年を機に卒業生団体の「成蹊会」が資金を提供、東京芸術大学の菅原安男教授による ブロンズ像が製作されました。昭和38 (1963) 年4月8日、今村氏の遺徳を偲ぶ多数の卒業生が大学1号館前に参集し、除幕式が行われました。
【文:成蹊会 高橋章建】